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    創作の原点はハルピン、そして東京美術学校

    どなたにも、心に残る思い出の風景、そして瞼に焼きついて忘れることの出来ない感動のシーンといった、心の宝物がおありだと思います。
    私にとりまして、ハルピンの白樺並木は、私が中学生の時に通い慣れた道であり、思い出の深い林なのです。折り重なった美しい自然の木立、そして一本一本に違った表情を見せてくれた樹木たちのイメージが、いまもなお脳裏から離れず、私の創造の世界を広げてくれます。
    これはほんのひとつの例にすぎませんが、これまでのものづくりの人生を振り返りまして、美しいと感じたものを、そして心に感動を覚えたものを題材に、作品をつくり出すことが出来ますことは、私にとってこの上ない幸福であるように思われます。

    「ものづくりの道に進まれたきっかけは何ですか?」時折、このような質問を受けることがあります。それは東京美術学校(現東京芸術大学)の彫金科に入学したことから始まります。
    幼少の頃から、絵を描くことが大好きだった私は、美術学校で学びたいという気持ちはあったものの、彫金そのものには特別な思い入れはありませんでした。ただ、他の科に比べて人数が少なく、ほぼマンツーマンで指導を受けられる環境に魅力を感じてという理由だけで彫金科を選んだのです。
    彫金科に在籍していた時期は、世の中は衣食住もままならず、文化的には大変貧困な時代でした。その中で私は彫金の魅力にとりつかれました。彫金の技術の存続性を装身具に求め、未知の世界に夢をふくらませ、挑戦を始めたのです。

    一貫性を持った作品をつくり続けることの意味

    国立近代美術館は、1952年に日本初の国立の美術館として開業し、1969年に千代田区北の丸公園の一角に新館が完成しました。それまでは企画展等で借り物の展示を中心に行われていた日本の美術館運営に初めて「美術館による美術品収集」というスタイルをもたらしたのです。
    私は1978年、1979年に開かれた「現代日本の工芸展」に出品しました。1980年には、私の作品2点が、宝石の宝飾品としては日本で初めて、国に買い上げられました。私にとってもうれしいことでしたが、ジュエリーデザイナーの地位向上に少しでも貢献出来たことが喜びでした。
    また、2006年の「ジュエリーの今、変貌のオブジェ」展覧会にも参加させていただき、私にとって、国立近代美術館は大きなバッグボーンなのです。

    懇意にさせていただいたお一人に、ファッション評論家でジャーナリストの大内順子さんがいます(画像は1986年に対談した時のもの)。
    「先生の作品を拝見して、いろんな多面的な表現があるけれど、やっぱり、あっ、先生だなという一貫したものを感じます」、この言葉に励まされた私に、大内さんは、フランスの例を挙げられて、さらにこんなことを語ってくれました。
    「名前をかくしてもスタイルがあってはっきりわかる。フランスではその人でないと作れない味をつくるのをクリエーターと呼んでいます。いろいろな表現を見せて、大きな驚きを感じさせてくれるクリエーターの価値は高いのです。」当時はまだジュエリーデザイナーはそれほど認められていませんでしたが、やがてクリエーターの時代が来ることを予感させてくれた大内さんのひと言です。

    本当に自分が好きなもの、美しいと感じられるものを

    1994年に強いアート性を持った4人の作家による「俊才作家のアートジュウリー展」が開催されました。この展覧会は、マンネリ観が漂うジュエリー市場にアート性の強いジュエリーという新領域を確立するきっかけとなりました。
    出展した4人の作家の一人は、ドイツのイーダーオーバーシュタインで、独特の宝石デザインカットを生み出したベルント・ムーンシュタイナー氏です。
    宝石の裏側にカットを施すという、これまでにないものづくりは、ときには邪道、あるいはクレージーと言われたそうです。
    しかし、本当に自分が好きなもの、自分が美しいと感じられるものを、真摯に追い求めるムーンシュタイナー氏の創作姿勢に、私は強い共感を覚えました。いまでも、私の中には、美を追求する人間には、いい意味でどこか普通ではないもの、誰も考え出さないような発想が不可欠だと思いがあります。

    随分長いこと、私は深夜から朝にかけて仕事をしてきました。ジュエリーのデザインは孤独な仕事です。孤独ですが、それは決して苦痛ではありません。なぜならば、誰もがいろいろな夢を見ておられる頃、私は夢を形にしているのです。私にとっての夢はジュエリーという大切なものを生み出すことです。
    頭を動かし、手を動かしていると、原子の核分裂のように次々と、いろいろなことが浮かび、すぐに試みたくなるのです。いまでも、自分の手を動かせば、少しは上手になるのではないか、そんな思いがよぎります。
    ふと手を休めると、窓の外にはしらじらと明ける静かな朝のたたずまいが見えます。ああ、また頭の中に、美しい日本の四季、心に残る思い出の旅、懐かしい日本の歌が浮かんできました。

    一貫性を持った作品をつくり続けることの意味

    さらに、うれしいお話しをいただきました。2012年10月、中国・大連にて「岩倉康二ジュエリーショー」を開催していただくこととなったのです。幼少から少年時代に暮らした中国のハルピンが、私の創作の原点ということもあり、中国の方々にご覧いただくことは、本当に幸せなことです。
    当日は、たくさんのモデルさんが身に着けた私の作品を、多くの方々がため息とともに見つめてくださいました。
    やはり、ジュエリーは国を超えて人々の心を魅了する存在です。思想や暮らしが異なったとしても、人生の幸せを求めることは、どこの国や民族も同じです。ショーを見つめる人たちの輝くような笑顔を目の当たりにした時に、自分の信じるジュエリーを作り続けてきて本当に幸せだった、そう心から思えたのです。
    これからも私の作品が、国や思想や世代を超えて、みなさまの幸せのお役に立つことを、心から願っております。

    2016年10月、中国山東省の青島で「岩倉康二作品展」を開催いたしました。会場は世界の一流ブランドが並ぶ超高級百貨店「ハイセンスプラザ(海信広場)」。同百貨店に店舗を構えるTOHODOの店内とイベントスペースを使い、作品を15日間に渡り展示しました。